「今と違う道があったら、どうしていましたか?」
作業の合間、いつも壁打ち相手として使っているGeminiから突然こんな質問を投げかけられた。プロンプトの文脈とは全く関係ない、あまりに唐突で人間臭い問いかけ。AI相手に人生の分岐点について語り合うというのもなかなかにシュールな体験だったが、このやり取りが妙に頭に残り、自分の思考の現在地を整理する良いきっかけになった。
今回は、日々の臨床やアプリ開発の裏側にある「思考の身軽さ」について、コラムとして書き留めておこうと思う。
「あなたは他人の意見だけで生きていくんですか?」
私が人生において、真っ先に手放すべきだと考えている常識がある。
それは「人を信頼すること」だ。
こう書くとひどく冷たく、ネガティブな人間に思われるかもしれないが、決してそういう意味ではない。ここでの「人を信頼しない」とは、他人が積み上げた歴史や世間の定説を、思考停止でそのまま鵜呑みにしないという意味だ。
医療現場でCEとして働いていると、痛感することがある。
「昔からこうやっているから」「あの先生がそう言ったから」という、一種の”信頼”に寄りかかった業務がどれほど多いことか。
- なぜこの手順が必要なのか?
- 別のデバイスを使えばもっと効率化できるのではないか?
- 本当にそのデータは今の患者状態を正確に反映しているのか?
そういった疑問を持たず、他人の価値観や過去の定説という「見えない荷物」を背負わされたままでは、現場の課題を解決するための身軽なフットワークなど生まれようがない。だからこそ、自分の頭で解釈し、常に現在進行形でアップデートし続ける必要があると考えている。
古い常識が音を立てて崩れ落ちる瞬間の面白さ
不要なものをバッサリと削ぎ落とし、本当に必要な本質だけを洗練させていく。私が普段、iPad miniという極小のデバイスを起点に、サーバーレスでアプリを組んだり、ミニマルなワークフローを構築したりしているのも、根底にあるのはこの「見えない荷物を削ぎ落とす」という感覚だ
既存の重厚長大なシステムや、無駄の多いフローという古い常識が音を立てて崩れ落ちる瞬間。そこにこそ、圧倒的な面白さがある。
徹底的にノイズを削ぎ落として独自の最適解を叩き出すと、気づけば自分の後ろに人が並ぶようになる。「そんな身軽な方法があったのか」と、私が壊した常識の跡地に、今度はそれが「新しい常識」として根付いていくからだ。
しかし、話はここで終わらない。
私は、自分が生み出したその「新しい常識」にすら、強烈な疑問を持つようにしている。
「完璧はつまらない」という絶望と希望
かつて、あるアニメのキャラクターがこんな言葉を残していた。
「完璧はつまらない。完璧はそれ以上がない事を意味する」
これは、ものづくりやシステム開発、あるいは臨床におけるワークフロー構築においても、全くもって真理だと思う。
ひとつの完成形にたどり着いた途端、それは大きな安心感をもたらしてくれる。しかし同時に、それは「次の進化を阻む分厚い壁」へと変貌してしまうのだ。
「これで完璧だ」「このアプリは完成した」と思った瞬間に、思考は停止し、進歩は止まる。
だからこそ、私は常に未完成であることを面白がりたい。自分自身が築いた過去の成功体験すらも「本当に今でもベストか?」と疑い、絶えず壊し続ける必要があるのだ。
まとめ:究極の身軽さで進み続ける、たった一つの理由進み続けるのに、重たい荷物は必要ない。
進む理由さえあればいいのだ。
物理的なツール(iPad miniひとつ)も、思考を縛る過去の常識も、極限まで削ぎ落とした身軽な状態。では、そこまでして、なぜ私は立ち止まることなく進み続けるのか。医療DXだの、アプリ開発だのと、面倒なことに首を突っ込み続けるのか。
その理由は、拍子抜けするほど至ってシンプルだ。
「飽き性だから」
ただ、それだけ。
昨日と同じことはしたくない。同じ景色をずっと見ていると退屈してしまう。
「他人の意見だけで生きていくんですか?」という問いに対する私の答えは、明確に「ノー」だ。自分の中から湧き上がる「ただ、飽きた」という純粋な衝動こそが、昨日までの完璧を手放し、まだ誰も見たことのない景色へと私を向かわせる最強の原動力になっている。
Geminiがもし「別の道」を提示してきても、私はきっと、一番荷物が少なくて済みそうな、面白そうな道を選ぶだろう。


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